息子は来年、高校受験を迎える。娘は再来年だ。
子供たちが修学旅行に行くたびに、親としていつも思う。「安全に帰ってきてくれ」それだけだ。楽しい思い出を作って、友達と笑って帰ってきてくれ。それだけを願っている。
だからこそ、辺野古の転覆事故が許せなかった。修学旅行で命を落とすことになった17歳の女子高生のことを思うと、胸が痛くてならない。
そしてもう一つ、強く疑問を感じたことがある。「この学校がやっていた平和学習とは、いったい何だったのか」ということだ。
辺野古での「平和学習」の実態
事故が起きたのは、沖縄県名護市辺野古沖だ。同志社国際高校の修学旅行生18人が、「辺野古をボートに乗り海から見るコース」を選択し、ヘリ基地反対協議会が運航する抗議船に乗った。
この「ヘリ基地反対協議会」は、米軍普天間基地の辺野古移設に反対する政治的な市民団体だ。その団体の抗議船に、修学旅行中の高校生を乗せた。これを学校は「平和学習」と位置づけていた。
私はここに根本的な問いを感じる。政治的立場を持つ団体の活動現場に生徒を連れて行くことは、本当に「平和教育」なのか。
沖縄の平和学習が抱える問題
沖縄での修学旅行における平和学習は、多くの学校で実施されている。ひめゆりの塔、平和祈念公園、沖縄県平和祈念資料館。戦争の悲惨さ、命の尊さを学ぶ場所として、これらは非常に意義深い。
しかし、近年の平和学習の中には「反米軍基地」「反自衛隊」という政治的メッセージが強く含まれているものもある。戦争の悲惨さを学ぶことと、特定の政治的立場を植え付けることは、まったく別の話だ。
中3の息子に聞いてみたことがある。「平和学習って学校でどう習う?」すると「基地は悪いって感じで習う」と言った。私はそこに引っかかりを感じた。なぜ「基地の是非」を子供に一方的に教えるのか。安全保障は非常に複雑な問題で、賛否両論がある。それを多角的に考える力をつけるのが教育ではないのか。
子供を政治活動に巻き込んではいけない
日本の宝は子供たちだ。その子供たちを、大人の政治活動の「素材」として使ってはいけない。
抗議活動の現場に子供を連れて行くことで、その活動の「正当性」や「支持の広さ」を演出することができる。意図的かどうかはわからない。しかし結果として、子供たちは政治活動の道具にされてしまう可能性がある。
保守・革新を問わず、これは許されないことだと思う。子供には、様々な立場の考えを知り、自分の頭で考える力をつける教育こそが必要だ。
学校に問われる安全管理と教育の責任
今回の事故では、安全管理の問題も深刻だった。
波浪注意報が出ていたのに出航した。旅客登録のない船に生徒を乗せた。引率教員が同乗していなかった。ライフジャケットの着用指導もなかった。
学校側は「思い至らなかった」と述べた。子供の命を預かる教育機関として、この言葉は重すぎる言い訳だ。
もし自分の子供がこの船に乗っていたら、私は学校を徹底的に追及する。「なぜ安全確認をしなかったのか」「なぜ政治団体の船に乗せたのか」「なぜ教員が同乗しなかったのか」。一つひとつ答えを出してもらうまで引き下がらない。それが親としての責任だと思う。
本当の平和教育とは何か
私が子供たちに伝えたい「平和」への思いはこうだ。
戦争は絶対にいけない。命は何より大切だ。しかし平和を守るためには、現実の脅威から目を背けてはいけない。中国の軍事的拡張、北朝鮮のミサイル、ロシアのウクライナ侵攻。これらを直視した上で、どうすれば日本と世界の平和を守れるかを考える力が必要だ。
「基地反対」だけが平和ではない。「話し合えば解決する」だけが平和でもない。様々な立場の意見を知り、自分の頭で考える。それが本当の平和教育だと私は思う。
まとめ|この事故が残した問い
- 政治団体の活動現場への引率は「平和学習」と言えるのか
- 子供に一方的な政治的価値観を植え付けることは教育か
- 安全管理を怠った学校と団体の責任はどうなるのか
- 本当の意味での平和教育とは何かを問い直す時だ
亡くなった武石知華さんのご冥福を心からお祈りする。この事故を無駄にしないために、私たち大人は真剣に向き合わなければならない。
教育政策や安全保障について各政党がどう考えているかは、政党比較表でまとめているのでぜひ参考にしてほしい。


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